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未来可能性のある社会創造に向けて


by Katsu
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生きるチカラ再考

現在を遡ること、およそ20年前と少し前。自然環境保護・保全や、自然体験教育活動や事業などを主軸とする市民団体や特定非営利活動法人、公益法人などが日本全国各地に「ポコポコ」と現れました。

 その多くの事業体や法人組織は、
1)持続可能(性)
2)生きる力
3)自然との共生
 を設立趣意書とか、理念とか、使命とか、で謳っています。

 ウェブサイトなどを観ると、このあたりの言葉や表現は必ずという程、見受けられます。また、環境系事業体や法人組織によく、見受けられるのが「環境危機が叫ばれています」とか「地球温暖化は待った無しの情況です」と言った「環境危機を煽る文章」です。一応、具体例などが呈示されていることはありますが、よく読むと何処かの書籍に書かれている内容や他のウェブサイトで記載されている内容と非常に似ていたり、「この文章、どこかで読んだことあるなあ」という印象です。

 加えて、当該団体の代表の方の「熱い想い」などでは、事実と異なっていたり、根拠のない「非科学的」なことが綴られていて、「ここまで来ると新興宗教みたい・・・」とまで感じさせられます。

 これが、自然体験活動や事業を主な商材として、資本主義社会に参入している「自然学校」と呼称される法人組織や事業体、各種団体も同様な論理を綴り、ある結論としては「幼少期、青少年期、青年期などの自然体験が自己肯定感などに好ましい影響を与えます」と、説得力の非常に薄い持論を述べるのが一般的です。

 これらを踏まえて、僕自身の経験も加えつつ、ひとつ断言出来るのは、「生きる力」を育む、法人組織や事業体、各種団体、これら自身、「“生きる力”が無い」ということです。このCOVID-19の渦中では、その実態がかなり大きく顕現していると僕個人は強く感じています。

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ある日、インターネットで各種報道媒体のウェブサイトを観ていた際、「自然学校エイド基金」という見出しが僕の目に止まりました。検索を施すと最初に表示されたのが、公益社団法人日本環境教育フォーラムという公益法人組織のウェブサイトでした。

 少々、長文ですが、その一部を抜粋します。

 出典元:公益社団法人日本環境教育フォーラム website URLhttps://www.jeef.or.jp トップページ > JEEFの活動 >「自然学校エイド基金」

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【 子どもたちの自然体験を支える自然学校を応援してください!】

「自然学校エイド基金」

 自然学校とは地域の自然を舞台に自然体験やエコツアー等を提供する事業体です。新型コロナウイルスの影響により、子どもたち向けの自然体験やキャンプが延期・中止となりました。4月の調査では、6割強の自然学校が廃業の危機に直面していると回答しています。

 子どもたちは自然のなかで遊ぶことを通して、生きていくのに必要なたくさんのことを学びます。自然の大切さ、友達との付き合い方、自分のことを自分で決定する力、試行錯誤する力。自然学校等はその機会を守っている場所です。

 そのため、子どもたちと自然をつなぐ重要な役割を担っている自然学校の存続のために「自然学校エイド基金」を立ち上げ、寄付金を集めることとしました。子どもたちの自然体験を支える自然学校への応援をお願いいたします。

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 この類の法人組織などが理念や使命、情熱などで訴えている「生きる力」とは、つまるところ、「私達が信念としている、または主張している“生きる力”は、近代社会、現代社会では通用しないんです。この深刻なCOVID-19という疫病下では私達、食べていけないんです。だから、皆さんの支援がないと私達の法人組織や集団は維持・継続出来ないんです。だから、助けてください」ということです。


 COVID-19で事業や法人組織が深刻な経営危機に陥っているのは、どの業種も同様です。そのような方達も、このCOVID-19で「今月をどうやって生きていこう」「銀行から借りているお金をどうやって返済していこう」と瀬戸際の状態なのです。例えは極端ですが、この「自然学校エイド基金」は、「深刻な傷病者」が同様に「深刻な傷病者」に救いの手、助けの手を求めている、更には、その様な行為・行動を扇動している、極めて歪な構造のように僕は感じてなりません。

 「困っているときはお互い様、お互いで助け合っていきましょう」。この標語自体、僕は間違ってはいないと感じており、むしろこの優しい心根を持つことがこのCOVID-19禍では非常に重要、大切だと僕は強く感じています。

 しかし、そもそも論的に言えば、自然体験教育事業法人組織などは、このCOVID-19禍に於ける「三密回避」「社会的距離確保」「マスク着用」などの感染拡大防止下では、「消費者が積極的に購入しない商材」「消費者が現在は求めていないサービス」しか、持ち合わせていないだけのことではないか、と僕は認識しています。

 更に厳しいことを綴りますが、「持続可能(性)」「生きる力」などを信念、信条、理念、使命などに綴っている、この類の法人組織などは、「この疫病化の今こそ、こうやって生き延びていきましょう」「事業体をこのような方法や手段、仕組みを活用して、維持させましょう」と「お手本」を呈示出来る筈、もしくは呈示すべきなのではないでしょうか。


 僕の友人や知人の中には、自然体験教育事業を主軸とする法人組織に在職、勤務しているひとが少なからず存在しています。彼等彼女等が勤務するウェサイトには「自然体験は、子ども達の生きる力を育む!!」とデカデカと謳っています。ところが、その当人や法人組織はこのCOVID-19禍で呆気なく、「すんません。うちら、食べていけませんので、助けてもらえませんか(つまり、お金をください、と言っている訳です)」とは、社会的無責任性を超えて、少々異常なのではないでしょうか。


 環境系特定非営利活動法人や自然体験系特定非営利活動法人などが消費者に提供する商材やサービスなどは、「市場では然程、求められていない」「社会の課題、社会の問題などの解決には役立っていない」などという仮説は、あながち的外れではないでしょう。ただし、資本主義社会に於ける「市場原理主義」や、「市場原理」などはより慎重に検討、考察を必要とし、安易な、且つ憶測的な一括りは出来ませんし、すべきではありません。


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 参考論文:筑波学院大学紀要第4 13~24ページ

『「市場原理主義」批判と「市場原理」』鈴木則稔  2009

websiteURLhttps://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2009/02SUZUKI.pdf

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 と綴りつつ、僕自身がかつて自然学校、及びこの事業体に相当する法人組織に常勤職員として勤務していた経験から強く感じているのは、この類の事業体は「活動や事業の“運営能力”はあっても(非常に優秀と言っても過言ではありません)、事業体を維持・継続する“経営能力”が非常に乏しい」ということです。この指摘は、おそらく間違っていません。


 世の中には、「Essential worker:エッセンシャル・ワーカー」と呼称される職種が複数、存在します。人々が日常生活を送る上で世の中や地域社会に必要な業種、職種を意味する言葉ですが、自然体験教育事業体は、「人々が日常生活を送る上で社会に必要な商材やサービスを消費者に提供していない、もしくは提供出来ない」業種、職種と評価するのが現時点では妥当だと僕は考えています。つまりは、「Essential worker:エッセンシャル・ワーカー」系の業種、職種ではない、という考えです。


 僕がかつて在職、勤務していた自然体験教育系事業体(公益法人)の年間予算は人件費を含めて約1億円(専従職員10名程)でした。固定費の中でも多くを占める人件費の内訳を軽く綴ると、平職員1名あたり、年収200万円前後(かなりの薄給。でも仕事は激務)と考えて、2000万円。事務局長が年収400万円以上。専務理事が年収600万円以上。賞与などを含めると事業体年間予算1億円の内、3000万円を超える固定費は人件費でした(ちなみに、この公益法人は後に、粉飾決算が明るみ出て、組織は強制解散、専務理事は書類送検されました)。

 一般的に、飲食店などでは、年間収支予算固定費の人件費は30パーセント以内に留めることが好ましい、と言われています。これは厳密に飲食店では「原価材料費」と「人件費」なので、合計しての60パーセント(以内)です。ですので、売上に対して「原価材料費」と「人件費」を合計しての60パーセントを超えると、その飲食店は経営的に厳しい、という一応の金融機関などに於ける与信的指標があります。


 この飲食店の理屈を自然体験教育事業体に、真っ直ぐに当てはめることは無理がありますが、一応の「目安」にはなり得ます。また、自然体験教育事業体には、特有の現象があります。厳密に綴ると齟齬が生じるのですが、敢えて綴ると、飲食業とは異なり、自然体験教育事業は自然現象に大きく左右されます。

 大雨が降っても、飲食業は然程、影響は受けませんが(実際には冷夏や大雨などで野菜などの値段が高騰したり、輸入食物も高騰どころか品薄状態ということはありますから影響がないとは言えません)、自然体験教育事業は天候次第で、かなり左右されます。


 例えば、「とある山の登頂登山」をいう事業を主催して、参加者(受益者)を集め、事業最小催行人数に達していても、悪天候で「登頂登山」という「目玉商品」が不履行になれば、「cooling-off:クーリング・オフ」的な事後対応を施さないと消費者はその事業体のその後の主催活動や主催事業を「購入」することはないでしょう。しかしながら、「山の登頂登山」を主催した事業体にとって、天候による「登頂登山断念」という商品の不履行に伴う、クーリング・オフ的な事後対応は痛手です。もっとも、賢い経営者であれば、このようなことを予見して何らかの対策や資金繰りは用意しているものですが。


 結論を綴るのが遅くなりましたが、例えば、ある法人組織の「経営者」や「法人組織長」が無能であれば、その法人組織は「呆気なく沈む船」です。そして、得てして法人組織の「長」が無能であれば、その法人組織で業務に従事する労働者も何故か無能のひとが多いと僕は感じています。おそらく、有能な労働者は無能な経営者や無能な法人組織長の企業で、そもそも働かないですし、もし仮に働いたとしても「この会社は沈む船だ」と直ぐに察知して、さっさと退職するのでしょう。


 本投稿記事の趣旨から随分と離れてしまいましたが、このCOVID-19渦で、右往左往している集団、組織、団体などは、その法人組織の「経営者」や「法人組織長」次第で、生き残るかどうかが決まります。その集団、組織、団体などの「経営者」や「法人組織長」が、まともな人間性を持っていれば、その「船」は、おそらく、COVID-19渦でも沈まないでしょう。しかし、その集団、組織、団体などの「経営者」や「法人組織長」が、まともな人間性を持っていなければ、COVID-19渦にかかわらず、その「船」は、間違いなく「沈む」でしょう。

 

 COVID-19禍に於いても、COVID-19収束後も、私達は賢い民になる努力を続けることが大切だと僕は考えています。他力本願は時には良いかもしれませんが、自らの人生の主人公は自分自身なのですから、今後、益々厳しいご時世に突入していくであろう、これからの時代を乗り越え、生き残る術を己自身がまずは身につけることではないでしょうか。


 近代社会や文明社会だけが生きる場所ではありません。また、コンピューターというICTを必ず習得しなければ駄目だ、ということもありません。紙と電卓、ボールペン、固定電話、ファクシミリなどでも業績を伸ばしている企業は現に存在しています(ただし、極めて稀です)。


 他方、自然という環境の成り立ちや仕組みを問い学び続ける姿勢、大地からの恵みを頂く知識、技術、技能などの「生きる力」がむしろ、今後の厳しい社会や世の中を生き延びていくことに繋がるのではないか、可能なのではないか、と僕は強く感じています。

 おそらく、結果的に、この地道な取り組みや行いなどが、自らの子ども達に希望のある未来、可能性のある未来を、「渡す」「残す」ことが出来るのではないでしょうか。


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by earth-sea-sky | 2021-08-25 16:20 | 組織論